看護師の私が国際協力を仕事にするまで#2~コロナで留学断念、離島ナースに~

将来国際協力に携わりたいと考えている私が、看護師免許をとってから選んできたキャリアについて振り返って書いています。

前回は、大学卒業~カナダワーホリ、帰国までを書きました。

看護師の私が国際協力を仕事にするまで#1

その後の話です。

留学を決めたけど断念

国際協力をする際に、海外でのNGO(国境なき医師団など・・・)で働くイメージを持っていたので、スタッフ間でのコミュニケーションをとるためにも医療英語は必須と考えていました。

海外への移住も視野に入れていたため、看護師免許を英語圏の海外でとることも考えていました。

海外で看護師免許をとる時の指標としても使われる事がある、OETという、医療従事者に向けたテスト(IELTSみたいな)があります。そのOET対策を行っている学校を探し、オーストラリアに行くことを決め、2020年7月の退職を決めました。

でも2020年から新型コロナウイルスが流行し・・・国境は閉ざされ、当時働いていた病棟もコロナ病棟に変わり、留学は断念。退職は決まっていたため、退職して国境が開くまで短期の仕事をすることにしました。

その時は半年ぐらい経てば流行は落ち着くだろうと考えていました、、

短期の仕事を探すとき、せっかくなら自分のキャリアアップにも繋がり、前から興味のある僻地医療をしたいと考え、屋久島で離島ナースをすることにしました。あとはもともと田舎・自然が大好きで、ただただ島暮らしがしたかったのもあります・・・

屋久島での仕事はナースパワー人材センターで紹介いただきました。

島生活とコロナ第3波

屋久島に引っ越し、大自然の中で、島内唯一の病院で働きました。離島ならではの医療もあって、すごく新鮮で、職場のみんなも本当に親切でした。

自然が大好きな私にとって屋久島は楽園で、休みの日には山に登ったり、川や海で泳いだり、釣りしたり、職場のみんなと飲んだりスナックではしゃいだり、毎日が本当にストレスフリーでした。

屋久島での生活についてはまた別記事で記録に残していきたいです!

そんな楽しい毎日の中、コロナは収まるどころか第三波が来て、前職の同僚たちが毎日大変な思いをしていると聞きました。

屋久島ですっかり平和ボケしてしまった私は、コロナ対応のため関西に戻ることを決めました。屋久島を出ると決めたのは、必要とされる場所にいたいという気持ちがあったのと、留学がまだまだ難しそうだという状況で、今後のキャリアプランをしっかり考えなおす期間が必要だと思ったからです。

それぐらい、屋久島では私にとって魅力的なものが多すぎて、自分のキャリアを考えることを辞めてしまっていました笑

長くなってしまったので今日はこの辺にして、次はコロナ病棟で働き始めてから現在までを書いていきます。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました☻

次の記事→看護師の私が国際協力を仕事にするまで#3~大阪でのコロナ病棟勤務開始から現在まで~

コメント

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